always good, always funny, always heavy, always casual
“always good, always funny, always heavy, always casual”
(かすかな苛立ちを込めて言う)
杉山都葵、水上愛美
7月29日(土)−8月27日(日)
木曜日−日曜日 14:00−18:00(日曜作家在廊)
レセプション:7月29日(土)18:00−20:00
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“always good, always funny, always heavy, always casual”
Tsuki Sugiyama / Emi Mizukami
July 29 (Sat) – August 27 (Sun)
Thu – Sun : 14:00 – 18:00
Reception: 7/29 (Sat) 18:00 – 20:00
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“always good, always funny, always heavy, always casual”展に寄せて歌うよ
このしつこい展覧会タイトル”always good, always funny, always heavy, always casual”は、この「しつこさ」に、彼女たちの持つ目の前を流れていく世界の表層を生き抜こうとする態度が色濃く現れている。気付いた時には、時空がバラバラで、拾っても拾っても傍から落ちていくんですよ、あれが。同じもんばっか拾って、そろそろ拾うのやめようかなって感じになってる。マジで。
杉山の作品は、まず捨てられていたり、中古品で売られている家電や家具を集める。それら集められた冷蔵庫や自転車やIKEAの机や掃除機は、表面をカラフルな紐状の日用品で覆われ、像と像を結びつけるように無理矢理密着させられ、縛られ、隠される。それらの物達が持つ輪郭は、表面を覆うカラフルな紐状の日用品(ナイロンテープ、ロープ、ゴム紐etc..)にギュウギュウに縦横の方向に縛られることで、新たな表面が生み出される。それらは、もともと持っていた機能が失われると同時にまるで重量をも失っているようだ。その形態はなんとも言い難いカラフルな得体の知れない存在として、そこに立ち上がっている。私たちはあたかも知っていたようにその存在の形態をなぞり見渡し、自らの現実を取り戻す作業をいつのまにか強いられるのである。
水上の作品は、キャンバスが金属ポールに吊り下げられている。キャンバスの布が垂れ下がり、画面に定着している絵の具は、勢いある筆跡となり、滴り落ちながら色と色の境界を超えて垂れ流れている。そしてそれらは、重力によって下へ下へかかっていることを強く意識させ、かつて地面と地続きだった頃に戻りたいと言わんばかりに絵画としての存在を絶妙に保っている。そして彼女が言う「ヴィジョン」とは、自分を取り巻く社会や生活、本物のリアリティとはなんだったのかを確認するうちに画面と脳の中で起こるエラーを何度も受け入れ見えて来る風景だ。「骨抜きにされた絵画」は、その描かれた「ヴィジョン」という内側を頼りに外側(嘘みたいな現実、予測できない未来、ランダムなタイムライン)へと補完し続ける絵画であろうとする。内側も外側も同じようでいて、相互に影響しながら見えてくる風景を奏でる。
杉山も水上も、カラフルでいて、震えるくらいに明るい。彼女たちは、通り過ぎていく世界を繋ぎ止めることより、常に自らの「底」を提示する。「底」は「底」を常に更新して深くなる。穴に落ちて、落下中にもかかわらず静止して浮いているみたいに。それでも彼女達は、そんな状態でも「底」があることを知っていて、卑屈にならずに笑えるんだ。とても自覚的に。
イケザキ タクヤ(島人、美術家、フーディー)